ヒーローロボットの最大のアイデンティティたる顔(殊にガンダムの場合はジムとの
視覚的差別化のために最も重要な、まさにガンダムをガンダムたらしめているパーツ)が、
ドラマチックな演出も無く、戦闘の流れの中であっけなく吹き飛ばされる…
当時観ていてかなり衝撃的だった。
やはり禿の演出は凄いよな。
皆が言ってるように、その後のアムロのセリフも含めて…。
人間なら頭部が無くなれば即死だし、従来のヒーローロボットのように頭部に操縦席がある
設定であっても同様に「頭部爆破=パイロット死亡」となってしまう(それゆえ、従来の作品
においては「頭部だけは絶対に破壊されない」という暗黙のルールがあった)だけに、
ショッキングな光景だった。
キャノピー式ではなく、腹部にある密閉式のコックピット内でモニターを見ながら操縦する
という設定自体も斬新だったが、最終回のこの演出で、
「モビルスーツは単なる兵器であり、頭部は主要センサー類の集合モジュールに過ぎない」
という、この作品におけるそもそもの大前提を、最後にダメ押し的に強調された感じがした。
それゆえ、
アムロ:「たかがメインカメラをやられただけだ」
…というドライな反応だったが、仮にこれが従来のスーパーロボット系の主人公ならば、
まさに一心同体的な愛着を抱く愛機の顔を吹っ飛ばされた場合…たとえばパイルダーオン前に
マジンガーZの頭部が爆破されて無くなってしまったら、兜甲児は、単に「操縦不能になる」
という不都合のためだけでなく、「ああ…俺のマジンガーが…」と嘆き、大いなる喪失感と
感傷に襲われて涙する演出になったはず。
また、当初は玩具の付加価値を高める合体ギミックのためだけに設定されたと思われていた
コアファイターも、最終回で実に印象的な使われ方をした。
やはり何もかもが斬新で、偶然を含めて様々な要素が奇跡のようにハマった作品だと思う。
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